久しぶりに出かけた先のすぐそばに公立小学校があった。
目の前を入学式を終えた親子が次々に通り過ぎていく。親たちも初々しいが、新入生たちのかわいい姿に思わず拍手を送りたくなる。
どうか、入学早々コロナで一斉休校などということがないようにと願いつつ見送った。そしてこれからもずっと親たちには、わが子の一番の味方であって欲しいと願わずにはいられない。
学校はどんなに理想を掲げても弱肉強食の世界であり、全ての子どもにとって安心できる居場所とはなりえない。学校に対する拒絶感や不安感を示す子供がいてもおかしくないのだ(小中学校の不登校は18万人を超えた)。
学校では、みんなと同じペースで同じ内容を理解し、みんなと同じ行動を取ることを要求される。とにかく個人よりみんな(曖昧であやふやな集団)、そして普通(抽象的で理解しづらい表現)が優先させられるのだ。
そのことを人より少し遅れながらも時間をかけて受け入れていく子どももいれば、何としても心と身体が受け付けない子どももいる。
脳のエネルギーが人に合わせることに回らず、自分の興味・関心のある世界に偏って分配される子どもたちにとって、普通という理解できない言葉を乱発する教師たちに、自分が否定されているように感じたとしても不思議ではないのだ。
心と身体に様々な症状が出る子どもたちは、きっかけとなる明確な理由を自覚している場合より、何故、自分の心と身体が不調をきたし学校に向かおうとしないのかその理由が分からない場合が多い。だから、自分を責めることになり苦しさが増すのだ。
子どもたちは健気に親の期待に応え、その承認を得ようとする。何よりも親のことが大好きだからだ。世界中が敵となっても親(母親)だけは唯一人味方でいてくれるはずだと信じて生きている。
それが、自分に寄り添うのではなく、学校の立場に立って学校を擁護する姿に出会うと、深く傷つき不信感の塊となって心を閉ざすことになる。
―この世界に自分の苦しみを分かってくれる人は誰もいない―
その喪失感から抜け出すには、長い時間がかかることになる。
たった一人でいい。味方がいてくれて、きちんと聴いてくれる人がいれば、心は折れずに済むし、折れても回復は早い。
親の役割は要求することではなく、無条件に子どもの味方でいることである。学校の教師には、校長・副校長を始めとする教師集団や教育委員会が味方に付いていて自分たちの正当性を主張する。子どもの味方は親であるあなたしかいないのだ。
今、子どもを学校に預けるからには、いざという時は、保守的で時代遅れの学校と一戦交える肝の太さが必要だ。
負けるな子ども! 負けるな親たち!
心からのエールを送る。
- Posted by 2021年04月14日 (水) | コメント(0)
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