「子どものことがわからなくなりました」
「近くに寄るだけで『毒親近づくな!』と怒り出すんです。声を聞くのも嫌だって…」
苦戦する家族の中で、最初にカウンセリングを受けにやってくるのは、圧倒的には母親である。
自慢の息子や娘が学校生活に躓き、母親の追い求めてきたレールから外れたうえに、その子どもたちからコミュニケーションを拒否されることによってパニックを起こしてしまうのだ。
「一生懸命やってきたのに、何が悪かったというんでしょうか?」
こんな親子関係が増えている。
今まで自慢の子どもであったものが、突然口をきかなくなっただけでなく、母親が近づくことを拒否するとともに、母親の声が聞こえただけで身体に震えをきたすことさえあるのだ。
心と身体の双方が強い防衛反応を示していると言えよう。
「一人でアパートに住みたい!」
「全寮制の学校に入りたい!」
「精神病院に入っても母親から逃げたい!」
と、子どもたちは母親から逃げ出すことを主張するのだ。
なぜそこまでの拒絶反応が起きるのか。
ていねいに耳を傾けていると、そのすれ違いが見えてくる。
子どもが幼いころは、かゆいところに手が届くようにかまってもらえて、そのことに負担を感じることなく従った。それが幸せであったのだ。
一人っ子であればなおのこと、身近なところにモデルがなく、母親との関係だけが全てであり、その一方的な関係性に疑問を抱くことはない。
それ故に、母親に対する盲目的信頼が生じやすく、母親にとって理想的な“幻の子ども”が誕生しやすいのである。
子どもがこの一方的母子関係に疑問を抱き始めるのは、思春期を迎え、同年代と自分を比べ、相対化する力がついてきてからである。
母親との濃密な二者関係に少しずつ違和感を感じ始めると、母親の発する言葉の一つ一つに引っ掛かりを感じるようになっていく。
特に抵抗感を感じるのが、「お姉ちゃんだから…」「あなたのためよ…」という言葉である。
しかしその一方で、多くのことを犠牲にしてひたすら自分を育てることに力を注いできた母親を知っているがゆえに、母親の言動に違和感を感じることさえ罪の意識を感じてしまうことにもなる。
これから後は、アンビバレンスな感情に支配される時期が始まり、日々苦しみ続けることになるのだ。
「ちょっと違う!」
「いや、我慢するしかない!」
「やっぱり話がかみ合わない!」
「いや、合わせるしかない!」
「このまま支配されたくない!」
「でも、意思表示がむずかしい!」
「このまま言いなりではこわれてしまいそう!」
「でも、口に出せない。お母さんが怖い!」
このアンビバレンスな葛藤の中で、母親へのいら立ちが蓄積し、ついには心身反応として表現されるようになる。
特にST気質の子どもである場合、「普通はこうするのよ!」「こう考えるのが普通だからね!」「そんなやり方は普通じゃない!」と、ことごとく母親から“普通”を要求されることに、“普通”がどんなことなのかが理解できないために、母親の存在が最大のストレッサーになってしまう。
そして、そのストレッサーの存在を感知すると、身体が鋭く反応してしまうようになってしまうのである。
「生まれてこの方、私の意志が尊重されたことはないんです。
いつも、母親の意志で修正が加えられました。この辛さは、母親にはわかってもらえないと思います。小学校時代、学校へ提出する作品の全てに、『あなたのためよ!』と言いながら手が加えられました。そして修正されたものが評価されると、『ほら、よかったでしょ、ほめられて』と喜んでいるんです。
私が先生方のほめ言葉をどんな恥ずかしい思いで聞いていたかなんて、ちっともわかっちゃいません。私が手に入れてきた評価は母親の修正力によるまがい物でしかないのです。
私は、自分の人生のオーナーになりたいんです。それには母親から自分の人生を取り戻すしかありません。母親とこのまま一緒にいるぐらいなら、狂って精神病院に入った方がよほどましだと思います。
母は、自分が毒を蒔き散らかしていることに全く気付いていません。
私には、母という文字は毒という文字にしか見えません。私を助けてください!」
いま、本当に子育てが難しくなった。
かつてのように、多くの大人たちが子育てにかかわった時代と違って、母親と子どもが密室の中で孤育てに追いやられることで、毒親を誕生させやすくしている。
これ以上毒親を増やさないために何ができるのか、新たな課題がつきつけられた。
- Posted by 2017年04月20日 (木) | コメント(0)
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