フリースクールをテーマにしたコラムを依頼された時、亡き父と母が戦前、中国の旧満州で開設した寺子屋のような学校について触れてみたくなった。
父は1919年生まれ、幼い頃より運動能力に優れ、知的好奇心も旺盛であったようだ。高等小学校卒業後、小学校の給仕として雑用をこなしながら、代用教員の資格を取るべく、恩師の指導を仰ぐ。そして、代用教員資格取得寸前で徴兵され、その後は満州警察の警察官となり、ソ満国境の開拓村の駐在所勤務となる。
母は1920年生まれ、教師を目指すも、両親を幼い頃失っていたために、経済的理由で師範学校への進学を断念、八幡製鉄病院の看護師養成所を経て看護師となる。
この二人が縁あって、満州の奥地の開拓村で結婚生活をスタートさせることになる。そして、二人の共通の夢を実現させるべく、駐在所の官舎にて寺子屋を開校するのである。生徒は日本から渡ってきた開拓民の貧しき子どもたちと、それに朝鮮人の子どもたちである。
父が得意な国語・社会・算数・体育、母が音楽・家庭科と分担し、熱心に指導に当たったようで、学校の評判も高かったようである。
ソ連軍の戦車部隊が侵入してくるまでの、わずか2年程の期間であったのだが、この時期が両親にとって最も充実した時代であったようだ。
私が幼い頃から高校を卒業して家を出るまで、夕食時に繰り返し、ここでの楽しかった思い出を聞かせてくれたものである。
この影響を受けて私も、寺子屋のように子どもたち一人一人の居場所となるような、小さな学校を創りたいと長い間考えてきた。それが、通級学級や通信制高校・フリースクールの開設をお手伝いすることにつながっている。
私は20年ほど前から、必ず通信制高校の時代がやって来ると言い続けてきたが、それが実現した今、これからはフリースクールの時代がやって来ると発信したい。
個別ないしは少人数で、それぞれが学びたいものを自分のやり方で学べる学びの場所として、子どもたちのニーズに適う場所となるであろう。
不登校の子どもたちの受け皿としてだけでなく、得意な分野を思う存分伸ばしたいと願う子どもたち、能力が高すぎて吹きこぼれと言われる子どもたちなど、多様な子どもたちの受け皿として、今後の益々の発展を願うばかりである。
存在感を高めるフリースクールの応援団の役割を果たしていることを、きっと両親も喜んでくれているであろうと思っている。
- Posted by 2020年12月14日 (月) |
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