6月28日午後3時25分頃、千葉県八街市の市道を集団下校中の小学生の列に大型トラックが突っ込み、2人が死亡、1人が重体、2人が重症だという。何という悲惨な事故であろう。
夢や希望を断ち切られてしまい亡くなった二人の児童のご冥福を祈らずにはいられない。残された家族の無念を思うと声もない。
子どもたちは1列で歩き、精いっぱい命を守るために健気に努力をしていたのに、それでも命を守ることができなかったのだ。
誰に責任があるのだろうか。一番はあろうことか酒を飲んで運転をしていたトラック運転手にあるのは当然として、ガードレールも白線もない交通量の多い道路を子どもたちの通学路として放置してきた行政の責任も大きい。
既に7年前には小中学校のPTAからガードレールの設置の要望が出されていて、しかも同市では5年前にも登校中の小学生にトラックが突っ込み4人が重軽傷を負った事故があったにもかかわらず今回の事故である。
子どもの命を第一に考えるならば、ガードレールもない道路を集団下校させるなどという危険極まりないことを見逃しには出来ないはずだ。
子どもたちに安全を保障するためには、通学路に車を走らせてはならない。通学用の専用道路が必要なのだ。
ガードレールを付ければ道路が狭くなると言うなら、一方通行路にすればいい。大人たちが少々の不便さを我慢すればいいだけのことだ。
元々、車社会が押し寄せる前までは、道路は子どもの遊び場であった。そこへ車がなだれ込み、子どもたちの安全を脅かすようになってしまったのだ。
車は凶器である。弱者である子どもたちと共存できない。
今回の事故は、わが国の子どもたちの命がいかに軽んじられているかを如実に示している。
私も3年前に、手を挙げて横断歩道を渡っていたにも関わらず、助手席の子どもに気を取られた若い母親の運転する軽乗用車にはねられてしまった。幸い軽傷で済んだが、精神的なトラウマは今でも残っている。
ましてや一瞬のうちに友達を亡くし、自分も苦しんでいるいたいけな子どもたちの事を思うと胸が張り裂けそうである。必ずや元気になって退院してくれることを祈るばかりである。
子どもたちの命にかかわることには、もっとお金をかけて欲しい。多くの国民が望まないオリンピックに多額の税金を投入するお金があるのなら、使い道を変えればいいだけの話である。
オリンピックより何よりも今すぐ全国の通学路を総点検し、安全な通学路の確保に総力を挙げて欲しい。
こんな有様では、若者たちの、わが国の未来に対する期待値が下がるのは当然といえよう。
今こそ、税金の配分権を持つ大人たちの総とっ替えが必要だ。
- Posted by 2021年06月30日 (水) |
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