5月の連休明けに、ふるさと佐賀に帰り、佐賀市西川副校区の町づくり協議会で講演させていただくとともに、老人会の会合でもあいさつをさせてもらった。
そこで感じたのが、シニアの人々の驚くほどの元気さと明るさである。
老人クラブを、元気クラブという呼称に変更したと伺ったが、さもありなんという思いを強くした。
都会で聞くお一人様の孤独や認知症などの世界とは、まさに別世界のようである。
元気の源は?と考えて、一つ気がついたことがある。
それは、ふるさとに残る“縁側コミュニティー”の存在である。
かつてわが国の家屋は、そのほとんどが南側を向いており、一番日当たりのいい場所に縁側というスペースが確保されていた。
この縁側は、布団を干したり、様々な雑穀の天日干しをする作業場としての役割とともに、もう一つ大きな役割を果たしていた。
それは、おばあちゃんの居場所である。
この縁側に縫物を広げ、日向ぼっこをしている猫と一緒に、一日の多くを縁側で過ごすのだ。
このおばあちゃんのいる縁側を、次々と知り合いが訪れる。
回覧板を持って。あるいは農作業の行き帰りに。
行商のおばさんや、遊び疲れた子どもたちも。
そして、誰彼の噂話、何よりも昔話に花が咲く。
この人々の訪れが、おばあちゃんたちの脳を活性化し、認知症を防ぐ力になったのだ。
今でも、私の脳裏には、ふるさとの縁側での人と人との交流、そして、その中心にいた亡き祖母の笑顔が鮮明によみがえる。
あれこそが、忘れてはならない幸せなのだ。
縁側であれば、人も気軽に訪ねやすい。家に入りこむ必要はない。
訪ねられた人も、家に上げる必要もないから、誰に訪ねてこられても気楽である。
そのほどほどさがちょうどいいのだ。
人と人の縁をほどほど加減で結ぶ“縁側コミュニティー”。
その大事なものを、わが国の都会は失ってしまった。
都会の家屋は、地価の高騰もあって、縁側を作る余裕などない。
一番大事な空間なのに、一番先に不要なものとして削られてしまったのだ。
そこには、人の幸せとは何かを思考する哲学がない。
あるのは、人の営みよりも利益絶対主義の思想である。
そのつけは、孤立・孤独社会として、今、都会の人々に襲いかかっている。
外に開かれた家から、閉じられた家への変化に伴って、人は開かれた交わりをやめ、閉じられた空間での個別的な生活に埋没するようになっていたのだ。
器が変われば、中身も変わる。
都会の今の孤立、孤独社会の到来は、当然のことと言えよう。
人は、人と交わり、おしゃべりすることで脳を活性化させ、認知症を防ぐことができる。
あの有名な双子姉妹の妹であった銀さんの四人の娘たちの存在が、そのことを証明している。
この“縁側コミュニティー”に代わる安心しておしゃべりができる居場所をどう創り出すか、東京に住む老境にさしかかった私にとって、喫緊の課題である。
- Posted by 2014年05月30日 (金) |
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