入院生活のストレスから生じた自律神経の乱れを修復するために、三つのことを実践している。
一つ目は、できるだけお日様の陽ざしを浴びること、二つ目は歩くこと、三つ目はできるだけ人とおしゃべりすることである。
お日様の温かい陽ざしを浴びていると、心身のこわばりが消えていくのが分かり、「ありがたい!」と自然に言葉が口をついて出てくる。そして、ついつい歩く距離も延びてくるのだ。
川のそばを歩いていると、川原に下りた親子連れがいる。
ほほえましげに眺めていたら、親子のちょっと先に一本だけ菜の花が咲いている。
凛とした姿が素敵だったので、その幸せをシェアーしたくて、その親子にも声をかけた。
気が付いてくれた子どもがにこやかに手を振ってくれ、幸せが二倍になった。
そして、少し先へ行くと、年配の女性が何かを覗き込んでいる。
私も興味を惹かれて覗いてみると、竹垣に囲まれた小さな庭の片隅に、背丈の低い一輪の黄色の花が首をもたげている。
「福寿草ですね?」「ええ、そうみたい!」と言葉を交わし、「幸せのおすそ分けをいただきました」と笑顔を交わし合って別れた。
更に菖蒲園で有名な公園まで足を延ばすと、二本の見事な梅の木が目に入る。
細い枝を空まで伸ばし、そこには純白の花があふれんばかりに咲き誇っており、その発するエネルギーに圧倒された。
その二本の梅の木の間にベンチがあり、若い母親がスマホをいじっている。その周りを二人の幼い兄弟が楽しげに走り回っている光景は、あの黒沢明監督の映画〝夢〟を彷彿とさせてくれる。
まさに〝幸せ めーっけ!〟である。
その幸せついでに、私は今まで体験したことのない行動にチャレンジしてみることにした。
それは、二本の梅の木の巨木をそれぞれに抱きしめることだ。
思い切って抱きしめてみると、木のぬくもりが伝わってきて、何か内側からエネルギーが湧いてくるような気がした。梅の木の持つエネルギー、いわゆる〝気〟というものを分けてもらったのかも知れない。
幸せな気分が全身を満たして、自分の心と身体が確実に回復し始めている手応えを感じた瞬間であった。
幸せは見つけようとする者に訪れるという。
〝辛い〟と〝幸せ〟の字画は上に一本の横線があるかなしかの違いでしかない。
幸せはいつでもどこにでも転がっている。しかし、スピード重視・効率第一主義を求められる生活ではこの一本の線を加えることも難しくなるばかりである。
- Posted by 2018年03月11日 (日) |
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