埼玉県川口市立中学校の元男子生徒(16才)が、当時の学校や教育委員会の対応が不適切であったとして、市に損害賠償を求めた裁判で、市側は〝いじめ防止法〟のいじめの定義が広すぎると、この法律に異議を申し立てた。
曰く「この法律では、普通ならこれぐらいのことでというような行為がいじめとされ、そんなところまで教員は対応できない。そのくらいは我慢の範囲内である」というのだ。
「ゆえに、教師側は訴えられた事案に対して、いじめと認識していなかったし、普通の子であれば乗り越えられる程度のものと認識していた」と主張し、あたかも被害者に我慢強さが足りなかったかの如く、無責任な主張をしている。これは、まさしくいじめの二次被害である。
わが国では、いじめだけでなく、さまざまな被害者が、激しく残酷な二次被害に見舞われる。
セクハラ、パワハラ、レイプを始めとする性被害、体罰……。
わが国は〝長いものには巻かれろ〟という古い意識、お上意識の名残りも強く、弱者が自己主張をすると、寄ってたかって叩かれてしまう。
そんな中、かつてお上と呼ばれた学校、教育委員会、児童相談所などの、時代を読み取る感度は恐ろしいほど鈍くなっているようだ。〝出過ぎず遅れず目立たず〟の仕事のやり方が長い間の習慣となっていたために、激しく変化していく社会に取り残されてしまっているのではないだろうか。
家庭を取り巻く環境も、子どもたちの集団のあり方も大きく変わってきている。全ての家庭が支援を必要としているし、全ての子どもが話を聴いて欲しいというニーズとともに、いじめへの不安を感じている。しかし今回のように、子どもたちの願いに真剣に向き合ってもらうことを行政に期待するのは難しいようだ。
私にとって、国の作る法律に納得がいかないものが多い中、この〝いじめ防止法〟は子どもたちを守るものとして大いに評価している。現場の教師には、もっと前向きに理解して欲しいと願うばかりである。
今、一人っ子同士で結婚し、生まれた子が一人っ子であれば、生まれながらに、一人のいとこも叔父さんも叔母さんも持たないのだ。
そんな少ないヒト体験の中で育つ子どもたちに、かつてのようないじめを乗り越える逞しさを求めること自体が時代遅れである。
おまけに、公立の中高一貫校が人気を呼び、受験準備年齢は下がるばかりであり、遊び仲間との遊び時間も、遊び空間も削られる一方である。喧嘩したり仲直りを繰り返す中で、いじめに強い耐性も養われるが、今はそれを望むべくもない。
子どもたちが生き生きと集団生活を送る土台があらゆる場面で崩壊しているのである。
現場の教師が、時代の変化を見据えることができず、過去にしがみついているだけなら、学校そのものが、子どもたちにとっては命を奪われかねない負の遺産となる。そんな学校ならいらない!
- Posted by 2019年09月21日 (土) |
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