桜の木の下で歓声を上げ走り回る子どもたちを眺めながら、心愛ちゃんのことを思わずにはいられない。
何度も何度も周囲の大人たちに助けを求めたにもかかわらず、誰にも助けてもらうことなく、絶望の淵で亡くなっていったことを思うと、子どもたちを支援することで給与を手にしていた関係公務員たちへの怒りが湧いてくる。何と無責任で、弱者への共感性に乏しいことか!
関わった支援者の誰か一人でも、心愛ちゃんの命がけの訴えに耳を傾け、父親から断固として隔離しておけば、この悲劇は防げたに違いないのだ。この悲劇は事なかれ主義の大人たちがよってたかって引き起こしたものだ。
父親だけでなく無責任だった関係公務員の罪も問われるべきではないだろうか。
父親に関して言えば、彼の内包する特別な気質と、その気質がストレスによって派生させるパーソナリティの偏りが強く感じられる。
父親が裁判の被告人陳述の中で、「子どもの可愛がり方、子どもとの距離の取り方が分からなかった」「相談する相手もいなかった」と答えている。故に、自分のやっていることは自分なりのしつけの範疇だと信じ、それがエスカレートしても、途中で切り替えることができなかったのであろう。
程々という手加減ができず、やり始めたらとことん突きつめてしまう。相手の内面心理・感情を読み取ることができない。自分の思いが絶対正しいとして、周囲のアドバイスを聞き入れない。
このような彼の行動の特徴はST気質の持つ負の要素と合致する。
本人も自分がなぜ実の娘を可愛がれないのか、なぜ周囲に対してモンスター化しやすいのか、なぜ仕事が長続きしないのか、なぜ家族を暴力的に支配してしまうのか、周囲や専門機関に相談していれば、自分の白黒二分化思考、こだわりの強さ、刺激に対するはまりやすさなど、いくらかでも気づきが生まれたはずである。
そして、自分の承認欲求が満たされないことで、ST気質の二次症状の一つである自己愛性パーソナリティ障害の傾向を強め、自分の考えていること、やっていることは正しい。自分を認めようとしないものは敵だというレベルに達したようだ。
今回の裁判では、父親の異常な虐待行動のみに焦点が当てられ、その背景にある思考や価値観、家族観などがどのように形成されていったのか、多くの苦戦家族のために役に立つ本質的分析が弱かったのが残念でならない。
彼の母親もしつけに厳しかったと、父親が述べており、母親もまたST気質の持ち主であり、ST家族であった可能性が高い。ST気質の負の連鎖が生じていたことが推測される。ST家族は周囲の支援なしには幸せになることができない。
心愛ちゃんの死を無駄にしないためには、家族支援・子ども支援に携わる人々に何としてもST気質への共感的理解を広めなければならない。
- Posted by 2020年03月24日 (火) | コメント(0)
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