相談者の話の中で、LGBTQという初めて聞く言葉に出会った。
私もLGBTについては、関わっていた出版物で特集を組んだりしたことがあるので、それなりの知識はあったが、LGBTQについては恥ずかしながら知識不足であった。
Ⅼはレズビアン、Gはゲイ、Bはバイセクシャル、Tはトランスジェンダーを意味するが、〝Q〟はクエスチョニングまたはクィアを意味し、自分の性に疑問を持ち、自分の性自認が定まっていない人を呼ぶ呼称として広がりつつあるようだ。
LGBTからLGBTQへと性の多様性が広がり始めていることは喜ばしい限りである。
今世界は、多様性という大きな潮流が生まれている。今まで不利益を被り差別的な扱いに耐えていた人々が、あらゆるところで声を上げ始めたのだ。
一方、ありとあらゆる手段を総動員してこの流れに立ちはだかる勢力も強大である。アメリカのトランプ前大統領に共鳴するトランピストと呼ばれる人々はその代表例であろうか。
しかし、どんな強大な力であろうとこの流れを阻むことはできない。その一つ一つの叫びは、自分が自分であるための魂の叫びであるからだ。
わが国では、優位的なポジションに胡坐をかいてこの流れに気づかぬふりをしてみたり、様々な方法でケチを付けたりする人々が支配的で、世界の潮流からははるかに引き離されている。そんなわが国で多様性を求めて声を上げるのは極めて勇気のいる行為である。
多数派の人々が自分たちの普通基準を押しつけ、それに対して違和感を感じる少数派を排除し、声が上げられないように抑圧してきたからだ。しかし、抑圧の中から命がけで声を上げる人が現れ、何度も傷つけられながらも主張し続けて、少しずつ多様性の扉を開けてきたのである。
普通が全てではない。当たり前が正義ではない。一人一人が違っていいのだ。性的指向、性自認のあり方もみんな違っていいはずだ。異性愛を当然と考える人がいてもいい。しかし、それを人に押しつけてはならない。それぞれがオンリーワンであり、それぞれがその性的指向を認め合わなければならないのだ。
LGBTQの人々の魂の叫びがあって、新しく〝Q〟の人々の存在も知られ始めているようだ。
わが国の多様性を認め合う社会づくりは、やっとスタートラインに立ったところである。多様性を認める社会は、弱者が生きやすい社会でもある。
札幌地裁の同性婚訴訟で、同性同士の結婚が認められないのは、憲法14条の「法の下の平等」に違反するとの判断が下された。この判決も確かな一歩である。
- Posted by 2021年03月18日 (木) | コメント(0)
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