週一回月曜日は、週の始まりのルーティンとして手を合わせることにしている。苦しい透析生活を何とか乗り越えられますようにと声に出してみると、何か気持ちが安らぐような気がする。一種の精神安定剤と言えようか。先日は若い女性が随分長い間祈り続けている姿を見かけた。
キリスト教には告解という儀式があり、神に自分の悩みや不安、更には自らの罪について告白し、許しを乞うたり助けを求めたりする。これがカウンセリングの源流と言われている。
欧米では、苦戦する家族だけでなく一流のアスリートや俳優、大企業の経営者たちも、いつでも心の内を吐き出せるかかりつけのカウンセラーがいて、日常的にメンタルケアに力を注いでいる。カウンセリングは、特別なものではなく生活の一部になっているのだ。
一方わが国では、心の内は軽々に明かすものではない。悩みや不安は自分で解決するべきものであり、人に弱音を吐くような意気地なしであってはならないと教え込まれる。
そのために心が疲れてもケアが遅れ、身体に症状が出て初めて治療を受けるために、入院や薬物に頼らざるを得なくなり、回復にも時間がかかることになる。
わが国でも、カウンセリングに対する認知が広がってきたものの、まだまだ欧米とは比較にならないレベルである。特にコロナ禍の今、ストレスで心身の不調をきたす人が多く、心療内科の予約が取れても何か月も先になるという。
このところ、新聞・テレビ・ラジオでも自律神経について扱う番組が増えている。それだけ、メンタルケアのニーズが高まっているということであろう。
心の不調を感じている人たちは、カウンセリングにたどり着くまでの間、セルフカウンセリングに取り組んでみて欲しい。
私のように氏神様や仏壇のご先祖様に向かって弱音を吐くのもいいし、ペットに語りかけるのもいい。観葉植物に水やりをしながら内なる思いを吐き出すのでもいい。夜、抱き枕を抱いて語るのを寝る前の儀式にしてもいい。様々な形で内なる思いを吐き出すことができれば、少しだけでも心が軽くなる人が増えるはずだ。
子どもたちの自殺も450人を超えたという。不登校も増えるばかりだ。女性の自殺者も急増している。
わが国を総うつ列島化させないために、弱音を吐き出す実践的な方法をもっと広めたいと考えている。
- Posted by 2021年11月01日 (月) | コメント(0)
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