今、発達障害であることをカミングアウトする大人たちが増え、テレビでも発達障害が取り上げられることが多くなっている。
発達障害が子どもの問題と捉えられていたものが、社会的に苦戦する大人たちの背景に発今、発達障害であることをカミングアウトする大人たちが増え、テレビでも発達障害が取り上げられることが多くなっている。
発達障害が子どもの問題と捉えられていたものが、社会的に苦戦する大人たちの背景に発達障害が眠っていることが明らかにされてきたことで、子どもから若者、そして老人に至るまで、国民全体のものであるとの認識が生まれ始めたことは評価に値する。
しかし、成功した一部の起業家や芸術家が自らを発達障害であるとカミングアウトしたとしても、発達障害に対する我が国のネガティブな評価を覆すには至らない。
発達障害イコール、コミュニケーション力に欠けるチョット危ない人、人並みの仕事のできない人、キレると何をするかわからない人、社会性に欠け人のサポートが必要な人、等々。
障害という言葉には、「あなたは一人前ではない」という非常な響きとともに、未来を閉ざす冷たさがある。
そのために、この発達障害という呼称を受け入れることに抵抗を感じる人がいても当たり前であろう。障害とは、どの生活空間においても生活するにおいてハンデがあることを意味する。
しかし、発達障害は常に生活面でのハンデがあるわけではない。集団生活で過度な協調性やあいまいであやふやな指示・課題を突き付けられた場合は苦戦することがあっても、マイペースが許され、ひらめきや発想が重視される環境では、己の能力を十分発揮することができるのだ。
ベンチャー企業を興したり、芸術家として創造的な楽曲や絵画・映画を生み出す人々、スポーツアスリート等に、この発達特性を持つ人は多い。
私は、この発達障害と呼ばれる領域の人々と一部重なる周辺の領域の人々を、敬意を込めて“スペシャルタレント”と呼んできた。
それは、これらの人々が豊かな五感力に富み、優れた才能の持ち主だからである。
確かに、“あうんの呼吸”、“暗黙の了解”、“建前と本音の使い分け”という、わが国独特の人間関係能力においては弱さはあるものの、その分、豊かな発想力と新奇探求心、それを形にしていく並外れたこだわりと集中力は大きな財産である。
このスペシャルタレントの人々を、障害者として社会的に劣った存在としてネガティブに扱うのか、それとも優れた能力の持ち主としてリスペクトするのでは、本人の自己評価や未来に向かうモチベーションは180度違ってくるであろう。
発達障害というネガティブ呼称は、自らをあるがままに受容することを拒否させるとともに、一番信頼し支え合うべき家族に分断をもたらすのだ。
否定的な行動を発達障害ゆえと思い込み、その否定面を人並みに改善させることが家族の役割だと信じ込むことで、否定面にのみ目が行き、肯定面を見つけ出すことが難しくなるのである。
そして、よほど発達障害に理解がある人でないと、外部にはできるだけ隠そうとする。
障害という響きだけで、誤解を受けることが多いからだ。
それぐらい、“障害”という言葉にはインパクトがあり、周囲を身構えさせ、ネガティブなイメージを巻き起こす力があると言える。
私がスペシャルタレント(ST)と呼ぶのは単に、言葉の言い替えということではない。
心からこれらの人々をリスペクトし、その力を思う存分伸ばして、社会で活躍してほしいと願うからであり、そのことがわが国の未来を救うと信ずるからである。
そして、家族同士、お互いの応援団になってほしいと強く願っている。
家族を始め周囲の人々が、障害者とネガティブに見るのか、豊かな才能のある人とポジティブに見るのかで、これらの人々の未来は大きく変わる。
受容的なメッセージは安心感を与え、セロトニンを分泌させることで異才を発揮させる。
同じ能力を持っていても、相手が受容的か要求的かで、発揮できる力は大きく違ってくる。
不安やストレスを感じていては、思うような力を発揮することはできないのだ。
失敗すればそれ見たことか、障害者だからという視線が浴びせられるような環境では、心も萎えてしまうのである。
今、我が国の想像力・発想力・発明力・芸術力など、新しい時代を切り拓くための国力は低下するばかりである。
その背景の一因には、得意な才能を持つ人々を発達障害とネガティブに扱い、社会性に乏しい存在として、教育の場で踏みつぶしている教育システムがある。
今、我が国の教育現場では、人並みの学力と協調性が求められ、それが不足するとみなされる子どもたちは、学校にとって困った存在として否定されるのだ。
そして、同級生との集団生活というふるいにかけられ、早々に振り落とされてしまう。
異才を振り落とすシステムと、その番人たる教師によって、有為の人財がつぶされているのが現実である。
素晴らしい才能を持つ子どもや若者たちをスペシャルタレントとして、最大限サポートする教育へと大転換を計らねば、日本は世界から取り残され、明るい未来はない。
我が国の教育界が、手のかかる子どもたちを“発達障害”と呼び続ける限り、教育界の未来もない。
まずは教育界挙げて、“スペシャルタレント”と呼称を改めてほしい。
そして、呼称を改めるだけでなく、これらの子どもたちからしっかり学んで欲しい。
今まで多くの親たちから、「“スペシャルタレント”という呼び方はなんと温かい響きでしょうか。そう呼んでみただけで、わが子への見方が変わりました」「不安から子どものファンへと家族が元気を取り戻しました」等々、多くの賛同の声をいただいている。
もっともっと、“スペシャルタレント”の応援団を増やしたい、そう願って、今年も7月29日・30日に家族支援カウンセラー養成講座を開催する。
- Posted by 2017年07月16日 (日) | コメント(0)
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