そしてこのゴールデンウィーク明けは子どもたちの登校しぶりが急増する時期でもある。
真面目でピュアな子どもたちほど、新しい環境で自分の安心できる居場所探しに苦戦するようだ。
今子どもたちにとって、小学校・中学校・高校入学という環境変化に適応するためのハードルはどんどん高くなっている。
かつては、地域でのサバイバル体験をくぐり抜け十分な耐性を身につけ、小学校生活をスムーズにスタートさせることができたものである。
兄弟姉妹も多く、近くに住むいとこたちもたくさんいて冠婚葬祭の度に集まることも多かったし、地域では年上の子どもたちに引き回され、時に泣かされながら、知らず知らずのうちに集団生活に必要な居場所獲得能力を身につけていたと言えようか。
しかし、今は兄弟姉妹も少なく一人っ子も多い。地域の子ども集団も姿を消してしまった。
ヒト体験は細る一方であり、自分の力で居場所を獲得する能力は劣化するばかりであり、新しい集団生活への大きな不安を抱えてのスタートになってしまっているのだ。
他方、リーダーたちの役割であった、集団の中で仲間に居場所を創り出す居場所保障能力も、影が薄くなってしまったようだ。
子どもたちの学級集団は、居場所獲得能力と居場所保障能力の双方が機能して初めて成立する。
どちらか一方が機能不全になれば、集団にひずみが生まれストレスフルな集団となり、ストレスに弱い子どもたちは学校に足が向かわなくなるのだ。
多くの場合、登校しぶりから始まり、心身症状が悪化して朝起きることができなくなり、本格的な不登校に繋がっていく。
今のように、入学直後から時間割に沿って規律正しい生活を要求される小学校の生活は、余りにもハードルが高いと言えよう。
一学期の間は慣らし運転期間として、もっと自由にのんびりと生活させてあげるべきだ。
クラスの人数も10人以内として、その上で必ず担任補助を置き、子ども一人一人の居場所保障に心を砕いて欲しい。
子どもたちが集団生活を維持し発展させる力を失っている現実から目を背けている限り、一人の担任に最大35人もの新入生を預けるなどという非科学的な政策は変わっていかない。
中学・高校に入る時も、一学期間は集団適応期間として、もっとゆったりとした学校生活を保障する必要がある。
最初の緊張状態の中で、矢継ぎ早に集団生活への適応を求められるのでは、マイペースな子どもたちはたちまち息切れをし、ここは自分の居場所ではないと早々に判断を下してしまうのだ。
文科省にはいつになったら子どもたちの魂の叫びを受け止めてもらえるのだろうか。
かつての成功体験を引きずる今の学校システムは既に機能不全を起こしており、このまま存続することは日本の未来を閉ざしてしまうことになる。
もっともっと大きなうねりが必要だ。
- Posted by 2022年05月07日 (土) | コメント(0)
この記事へのコメント
コメント投稿
※コメントは承認制のため、投稿をしてもすぐには反映されない場合があります。ご了承ください。
※スパム対策の為、お名前・コメントは必ず入力して下さい。
※記事が削除された場合は、投稿したコメントも削除されます。ご了承ください。