今年の終戦記念日の戦没者慰霊式典では、首相のあいさつから、“不戦の誓い”が消えてしまった。
これは、これからはいつでも戦争のできる国に変えるという、“好戦の誓い”ともいえるであろう。
わが国は曲がってはいけないカーブを、急速に右へ突っ走り始めたようだ。
阿倍首相の昨今の言動を見ていると、憲法改正のみを至上命題とした祖父の背後霊にとりつかれているような気がする。ブレーキの壊れた暴走列車のようで、背筋が寒くなるばかりである。
私にとって、八月十五日は特別の日である。
それは、三つ年上の次兄の誕生日であるとともに、さらに三つ年上の長兄の霊が返ってくる日だからである。
長兄は昭和19年末に満州で生まれ、昭和21年の春、悲惨極まりない引き揚げの途中で餓死している。わずか、1年ちょっとの命であった。
母からは、私が長兄の生まれ変わりのような顔立ちをしていると聞かされて育ち、長兄はいつも私の心のうちにいた。
愛する我が子を、弔うこともできず、満州の地に置いて来ざるを得なかった自責の念からか、我が子の霊が彼岸より帰ってくる盆行事は、貧しい家計をやりくりし、心のこもったものであった。
長兄も両親も、戦争の犠牲者である。そして、国に捨てられた棄民の一人である。
満州の入植者を守るはずであった関東軍は、ソ連軍の参戦の報を聞くや、一斉に朝鮮半島に逃亡し、名もなき人々を置き去りにしたのである。
軍隊は、あの沖縄戦や、今のエジプトやシリアの現状からもわかるように、国民の生命を守ることよりも国民に銃を向けることが少なくない。
そのことは、先の戦争が教えてくれた教訓であり、私が繰り返し、両親から聞かされ続けた真実である。
私は、長兄の死を無駄にしたくはない。
二度と戦争をしない国、若者を戦争に駆り立てない国、軍隊が市民に銃を向けない国にすることが、毎年八月十五日、長兄の霊に約束し続けてきたことである。
今年はその決意をより新たにした。
今、戦前生まれの人が20%を切り、実際に戦争に参加した人も高齢化するばかりである。
我々間接的に戦争を知っている世代が語り継ぎ、声を上げ続けないと、戦争の悲劇は風化し、再び好戦的な国が出現してしまいそうだ。
子どもを安心して、生み育てることができる最大の基盤は平和な社会である。
戦争で死なせるために子どもを生む母親はいない。
このままでは、わが国で子どもを生む人はいなくなり、ますます超少子化に拍車がかかりそうだ。
阿倍さん、子どもをもつ母親の気持ちをちょっぴりでも感じ取り暴走列車を止めて下さい。
- Posted by 2013年08月15日 (木) |
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