その知性の不足、発する言葉の軽さには目を背けたくなってしまう。
そしてこの人たちが、わが国の最高学府と呼ばれる大学や、名門と呼ばれる大学の出身者であることに深い哀しみを感じるのは私だけではあるまい。
この人たちは、大学で何を学んで来たのであろうか。
わが国の中心理念たる憲法の前文など読んだこともないのではなかろうか。
この人たちが好んで使う言葉がある。それは「国家のため」。
私は、「国家のため」と言う人間は信用しないことにしている。
わが国の憲法は、先の戦争の反省から国民主権を明確にし、憲法の前文には、日本国民という言葉が何回も使用されている。
国家は国民があってこそ存在するものである。国家が先ではないのだ。
今、国民より国家を上に置こうとする動きが急である。
“臣民”という言葉さえ、教育の場に持ち込まれようとしている。
“政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を制定する”
小選挙区制という民意を反映しない選挙システムによって、この憲法の前文が邪魔で仕方がないと感じる思慮の浅い政治家たちが大量生産されている。
これらの劣化の著しい軽量政治家たちによって、民を優先する統治システムから、国を優先する統治システムへと、数を力に問答無用で作り替えられようとしていることを、絶対に許すわけにはいかない。
日本国憲法は、戦争の放棄を明示した第9条、法の下の平等、思想・信条の自由を明確化した第14条、基本的人権の尊重をうたう第17条、文化的で健康な最低限の生活を保障する第25条など、人類が積み上げてきた英知を結集した世界に誇る知的財産である。
わが国が世界に誇れるものを一つ挙げろと言われたら、それは間違いなくこの憲法である。
この憲法の理念を切り捨てることは、わが国の価値を自ら貶めることであり、豊かな未来を捨て去る自殺行為である。
子どもたちに平和で豊かな未来をバトンタッチするために、70周年の記念日に寄せて、多くの方々に憲法前文を含め、憲法に目を通していただければ幸いである。
- Posted by 2017年05月03日 (水) |
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