神奈川県座間市で起きた殺害事件に驚愕すると同時に、家族支援に携わっている者の一人として、もっともっと頑張らねばと気を奮い立たせている。
若者の死にたい願望はどこから生まれてくるのであろうか。
そこにあるのは、自分に対する自己評価の低さであり、生きる目的の欠如である。安心感・達成感・承認欲求が満たされない生活が続く中で、生きるエネルギーを失ったと考えられる。
被害者の若者たちが、自分にとっての安心基地を求めて漂流し、たどり着いた先が悪魔の代理人たる加害者の男性であったことは本当に痛ましくてならない。
ずっと幼い頃から聴く力を持っている人を求め続けていたに違いない。なのに、聴く力を持って、折れかけた心を支えてくれる人に出会うことができなかったのだ。
『死にたい!』は『生きたい!だから助けて!』のSOSに他ならないのに。
苦戦している中・高生と話をすると、『どうせ、自分の辛さはわかってもらえないし、人に頼って否定的な反応が返ってきたら余計に傷つく!』と自分の想いを一人でしまい込む傾向を強く感じる。
「親も先生たちも『いつでも話を聴くからね』と、口先では言うけれど、いつも忙しそうで、自分のことで相手の時間を取ってしまうことに申し訳なさを感じてしまう」と、助けを求めることに躊躇してしまうようだ。
思春期以降の心の支え手は、親、先生から仲間へと移行していくことで、折れかかる心を何とか踏みとどまらせていたものが、仲間に対して気を使っても、気を許す関係は成立しにくい社会が生まれている。
これも、高校生の話なのだが、「そこだけの話のつもりで、家族のことを相談したら、あっという間に、その秘密が拡散してしまった。だから今は、当たり障りのないことしか話せない」と、現代SNS社会における助けを求めることの難しさを語ってくれた。
とすると、今若者たちは、これ程情報が飛び交う高度情報社会に身を置きながら、いざという時に話を聴いてくれる存在も、自ら助けを求める力をも失っていると言えようか。
死にたがる若者をこれ以上増やさないためには、いつでも・どこでも・気軽に耳を傾け、一緒に笑顔になれる道筋をさがしてくれるドラえもん型の家族支援カウンセラーの存在は貴重である。
家族支援カウンセラーの皆様の更なる奮闘に期待したい。
- Posted by 2017年11月17日 (金) |
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